「ボクの穴、彼の穴。」
PARCO STAGE
クライマックス・ステージ ファイナル
シーズン2
「ボクの穴、彼の穴。」
5月24日、観劇して来ました。
一度しか入ってませんので、セリフ等間違いなどあるかと思いますが自分なりの感想というか、思った事を忘れないようにここに残しておきます。
塹壕に潜り、見えない敵と戦う。
いつ死ぬかわからない、孤独感や恐怖に向き合う2人の物語。
舞台の話は実にシンプル。
はじめに絵本の原作を見た時の衝撃もあって、この物語がどんな風に演じられるのか、全く想像出来なかった。
この絵本を舞台化するにあたりまず、ノゾエさんが伝えたかったものとは。
深く深く追求すると違うかもしれないけど、大きく言えば「命の大切さ」なのでは。
劇中にある塚田くんのセリフで、
「人に与えられた命はひとつしかない」
とありました。
(正式ではないかもしれませんが)
日本でも世界中でもどこかで、罪のない人達が命を奪われる昨今。
すごく、重みのある言葉だと思いました。
少人数芝居で好きな作品にこの「ボクの穴、彼の穴。」を選び、作り上げたノゾエさんの根底は「見えない敵と孤独と戦う若者」を「現代の若者達」にわかりやすく伝えようと五感で感じさせようとしたのではないかなと思ってます。
あくまでも個人の見解です。
暗転したステージにスポットライトひとつ。
軍服を着て銃を抱えた塚田くんが、長い長い沈黙の後に「戦争です。」と言うセリフから物語は始まる。
銃を構える仕草、本物の訓練を受けた兵士のような機敏な動作、鋭い眼光。
当たり前のように冷たい目線を見えない敵へ、銃口を向け撃つ。撃ちまくる。
「いつからここにいたのか、いつから敵に撃っているのか、思い出せない。」
挨拶をするように一発だけ、相手の穴に向かって撃つ。
顔はまだ、見たことはない。
でも確かに彼は存在するのだと。
2人の間の戦争には、マニュアルがあった。
2人には何も残ってない。残っているのは、
薄っぺらいマニュアル本と戦争だけ。
「彼は化け物だ。モンスターだ。モンスターは血も涙もない。女も子供も平気で殺す。」
嘘だらけの本を信じて遠い異国の故郷を思い、この戦争を終わらせるために相手を探り探り闘っていく。
「だから殺すんだ。殺さないと、この戦争は終わらない。」
人間の心の弱さ、見えない敵への恐怖心を生々しく表現していました。
「孤独な兵士 塚田僚一」を演じている、というよりかは元々の本質とかなのかな。
色々組み込まれたりしてなくて、ただシンプルに素直に、塚田くんが世界観を飲み込んでたように見えた。
きっとそれが出来ると確信していた。
芝居を上手くやろう、作り込もうとすると余計な加工をしてしまうと思うんだけど。
塚田くんが今までやってきた役柄は、どちらかといえば塚田くんの表向きの明るいイメージキャラクターをそのまま持ってくるパターンが多かったと思う。
そこが逆に、純粋に表現出来ると感じていたのなら、それは塚田くんがストレートに体現していたのが目に止まったからなんじゃないかと。
「塚田さんと渡部さんがやる意義がある」
ノゾエさんの描く2人の兵士がこの2人にぴったりはまったのだろう。
「どうやって殺してやろうか!蜂の巣にしてやろうか!おびき出して殺してやろうか!己の涙の味は!お前が味わせてきた味は!!!」
いつもニコニコ、笑顔の塚田くんが一転。
今までわたしが見たことなかった塚田僚一、いやツカダリョウイチがそこにはいた。
凄みを遥かに超えた、怖くも感じた塚田くんの表情。
人間の心の汚い部分だったりをシンプルにセリフと身一つで表現出来る塚田くんの表現力というか。
あれだけの迫が出せるのは元々兼ね合わせていたものなのか、はたまた得意分野だったのかはわからないけど。
ビリビリと、塚田くんが放つ言葉ひとつひとつにもうひとりの「塚田僚一」が垣間見えたような。
今まで生きてきて、感じたことのある「孤独感」を表現してたような気がします。
と思っていたらパンフレットにも、塚田くんが実際感じてきた「孤独感」を語っていました。
『他人が持っていて、自分では持ってないものを見せつけられると、「僕だけだ。」という感じがとても孤独』
自分を持っている塚田くんだからこそ、他の人と「違う」という事に強く劣等感を覚えてしまっていた時期もあったのかな。
でもそれを正直に、口に出す塚田くんはやっぱり素直で真っ直ぐな人だから言えたんじゃないかと。
でも決してマイナスな方には捉えてなところが塚田くんのすごいところだと思うのです。
性格も育った環境も全く正反対の2人。
仲間はずれにあい、ずっとひとりで孤独に生きてきたツカダくんと、学級委員でみんなをまとめる優等生のワタナベくん。
ワタナベくんには、仲間がいた。でもその仲間を戦争によって殺されてしまった。
ワタナベくんはツカダくんに君が殺したんだろと問う。
「僕は一人も殺してない。」
「君らの中の誰かが殺したんだ。」
「僕は殺してない。」
「君は君らのうちの一人だ」
「都合のいい時だけ集団にしないで!」
「ハブられたこともないくせに!!」
戦場に放り出されたツカダくんが本当にひとりで生きてきたことを知るワタナベくん。
「そんなの、死んでこいって言ってるのと同じじゃないか!」
いろんな兵士がいる中で、ツカダくんは待ちの兵隊。ずっと我慢して我慢して我慢して待って待って待って。
ずっと頑張ってきた。インドアでスイーツ好きで植物に話しかけるような僕でも戦場に立っている。闘っている。
「ぼくを認めてよ。」
もう待つのはやめた。
「僕はこれから誰にも言えないようなことをします。人を、殺します。」
こんな、悲痛な叫びがあるのか。
その瞬間のツカダくんの表情が、忘れられない。
頭から離れないでいる。
今回の2人舞台を実際目で見て、「表情」と「声」だけでふたりは演じていたような気がします。
2人がついに対峙する場面で、叫びながら銃を向け合う。今に「殺すぞ」という気迫と、「死」を手前にした極限まで上り詰める恐怖心。
ここが本当に戦場じゃないかと思った。
それを感じさせるほどの、エネルギーが2人からは感じられた。
舞台のセットは穴が開いた布一枚。
そう、お互いの穴の中にいる。
夜が来る。
星空を見上げる。
あいつにも、家族がいた。
モンスターにも家族がいた。
奴は、モンスターではないのか?
僕と同じように1人で、この穴の中で飢えに耐え大嫌いな雨を凌ぎ、戦っていたのだろうか。
夜空の下、ふたりが歌う。
秀くんの声も透明感があって、でもどこか力強さもある声だった。塚田くんの透き通るような上ハモと秀くんの力強い歌が見事にマッチしていた。
なんて綺麗なんだろう。
お互いが歩み寄る。心が通じ合う。
見た目も性格も環境も正反対のふたりが、同じ事を思う。
この戦争を終わりにしよう。
「僕たちだけでも。」
「うまく、彼の 穴へ。」
決めつけられたイメージや固定概念って本当に怖いと思う。
「小さいものが大きくなって、そこで色んなことや人やものに対して、影響がどんどん肥大してしまう」
戦争だけじゃなくて、日常生活でも同じことが言えると思うし、思い込みや幻想を自分の中のイメージで膨らませていくことは確かに大切なこと。
ふたりは今回の舞台をやるにあたって自分達の固定概念を一度取り払って演じたんじゃないかと。
自分の人生の中に置き換えた時に、「自分が今感じていることが正しいのかどうかわからないです」
と言っている塚田くんは、このツカダリョウイチという役をするにあたってどういうイメージを作り上げていったのか。
答えは、舞台にそのまま出ていたような気がする。
『自分が戦っているものが「敵」、自分自身ってことになるのかな。』
舞台の上のツカダリョウイチも、A.B.C-Zの塚田僚一も、全く違う人物なんだけど、どこか共通するものがあった。
「環境の変化で大切なものが何かって気付かされていく」
これが塚田くんにとってはA.B.C-Zや、ファン、家族、周りの人達であって、舞台上のツカダリョウイチもまた、遠く離れた家族であったり、敵同士であったはずの彼であるワタナベであったり。
点と点、線と線が繋がれて行ったような。
塚田くんの「今」がとうの昔に終わった「戦争」というテーマと投影させて、新しい何かを生んだような気がします。
何か、というのは正直なところ私にはわかりません。
ですが今回のこの「ボクの穴、彼の穴。」で色々な事を気付かされましたし、ただ単純にこのお仕事を引き受けてくれた塚田くんと渡部くんには本当に感謝しかありません。
パルコ劇場、クライマックスステージの舞台にふたりがいてくれたこと、ふたりが、お互い必要で信頼しあって出来たこと。ノゾエさんの想いを素直に受け止め体で、声で表現してくれたこと。
こんなに感無量な気持ちで終わった舞台は初めてでした。
こんな貴重な舞台を見ることができて、いちファンとして、とても幸せですよ、と私は塚田くんに伝えたい。
P.S.
最後に、
塚田くんは周りに「生かして」もらってます、と言ってますが、私もまた、あなたに生かされてますよ!
大好きです。